霊峰・木曾御嶽山の歴史と周辺の魅力。
こんにちは。
5月の半ば、私は木曾を舞台に開催された実業団レースに出場して参りました。
大会中、私たちを見守るようにそびえていた木曾御嶽山。
関東の方も噴火・御嶽講などで存じている方も多いと思います。
私自身も高校・大学ともに山岳部で活動しており、山への探求心はかなり強いので今回は木曾御嶽山の歴史
魅了される所をご紹介いたします。
・山岳信仰の聖地
長野県と岐阜県にまたがる標高3067メートルの複合成層火山であり
富士山と並ぶ最も有名な霊山の一つで信仰登拝の歴史は古く702(大宝2)年、役の小角の開山に始まると言われています。
江戸時代末期までは一部の武家のみにしか登拝は許されず、しかも百日間の重潔斎(酒と肉を断つ)を満行した者に限られてという歴史があります。
その後1794年(寛政6年)には武蔵國の行者・普寛によって王滝口が一般民衆に開放され
これを機に木曽周辺で留まっていた御嶽信仰が全国的な信仰へと広がったという非常に興味深かい歴史があります。
そんな山岳信仰としても、文化としても古くから人々の関心を集めていた御嶽山ですが
噴火・地震との歴史も非常に興味深いです。
御嶽山の火山活動は約75万年前から開始され
休止期と活動期を繰り返しながら、1979年に再び火山活動が始まり、1984年に発生した長野県西部地震は御嶽山山麓の住民に甚大な被害をもたらし
記憶に新しい2014年に発生した噴火は、戦後最悪の火山災害となりました。
ヒルクライムのゴール地点である御嶽ビジターセンターから山を見ると、山肌がえぐれている個所が見受けられます。
一見ひと昔前にあった大規模な噴火によるものだと思っていましたが
このえぐれている部分は、先に書き記した今から40年前の1984年に王滝村を震源とする長野県西部地震で発生した大規模な山体崩壊「御嶽くずれ」の痕跡であり
大規模な土石流が麓を襲い、死者・行方不明者29人を出す被害になりました。
噴火もあって御嶽山に山行される方が少なくなってしまったと現地の方からお聞きしましたが、標高2000m以上の地点まで登れる御嶽スカイラインがあったり
3,000m峰ではありますが、7合目まで車やバス、ロープウェーなどでアクセスでき、日帰りで登ることも可能です。
例の噴火もあって規制がまだされていたりと活火山である為常に警戒・監視されている山ですが
火山であることから麓の王滝村や木曾町は源泉かけ流しの宿が多く
木曾町周辺は中山道の宿場町として栄えてきたので、昔ながらの風光明媚な町並みが色濃く残っています。
登山をやっている身として、レースなど自転車でこの地を走った身として本当にオススメ出来る場所なので
是非訪れてみて下さい。
・こちらを参照